湯河原と熱海で水彩画を教えるかたわら、ロードバイクに乗ってスケッチに出かけることも多い水彩画家の井上秋子。
繊細で美しいペンの線を生かしたスケッチに、爽やかな水彩絵具の色どりを乗せ、風を感じる風景画を生み出します。
ここでは旅する気分で見た湯河原の風景の数々をご紹介します。
より多くの作品をご覧になりたい方は画家のホームページ”Akiko Inoue Watercolor”でご覧いただけます。

湯河原の町は相模湾に面して扇形に広がっています。山間部は広大で、お隣の真鶴町や熱海市だけでなく、箱根町や小田原市と接している部分もあります。
スケッチで訪れたのは、駅や役場、スーパーなどがあり多くの人が暮らす「タウンエリア」、古くから温泉旅館が立ち並ぶ「温泉エリア」、港や海水浴場のある「海辺エリア」、そして幕山など伊豆の島々を見下ろす小高い丘の「山エリア」です。

その悲劇の歴史を乗り越え、昭和初期に建てられた二代目の駅舎は、和洋折衷の帝冠様式を控えめに取り入れた、慎ましさの中に風格を湛える建物でした。 現在の駅舎は、2017年に著名な建築家隈研吾氏が設計・監修を手がけ、リニューアルされた三代目にあたります。杉材のルーバーを多用した「ヒューマンスケール」なデザインは、湯河原の持つ「優しさ、温かさ」を表現していると言われています。かつての帝冠様式の面影は消え、新国立競技場を手がけた巨匠が「縁側」と表現した、開放的で柔らかな空間が旅人を迎えます。
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【関東大震災が残した「10個の石」の謎】
改札を出て、右手の階段の曲がり角には積み上げられた10個の石がひっそりと目に留まります。 この石は、関東大震災の猛威を今に伝える、歴史の証人です。多くの観光客が通過する駅の喧騒とは対照的に、この石たちは静かに歴史の重みを語りかけています。この石は、単なる石ではなく、この地を襲った悲劇を乗り越え、復興を遂げた歴史の象徴です。湯河原の温泉のぬくもりが、単なる癒しではなく、この厳しい過去の上に築かれたものであることを、この石たちは肌で感じさせてくれるでしょう。
この石の存在を知り、足を止める者は、湯河原の「通」として、より深くこの地を味わうことができるのです。
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【手湯が誘う、粋な「おもてなし」】
隈氏が設計した駅前広場の大きな屋根の下に、手湯がひっそりと佇んでいます。これは、旅行客に「ようこそ、温泉郷へ」と語りかける、粋な「おもてなし」です。足湯を置く温泉地とは一線を画し、まずは手のひらに湯のぬくもりを感じさせることで、これから始まる非日常への期待感をそっと高めてくれるのです。この手湯を素通りする旅人には、もしかすると湯河原の真髄はまだ遠いかもしれません。湯河原の「通」は、ここで手を温めながら、この先の旅路に思いを馳せるのです。

湯河原の湯が恋の熱さにたとえられ、その激しい思いにも関わらず、相手の言の葉は冷たく届かない──その切なさが、千年を越えて静かに心に響きます。 源頼朝に従い鎌倉幕府の礎を築いた武将・土肥実平公もまたこの地に館を構えました。戦の疲れを湯に癒やし、策を練る静かな時間こそが、湯河原の温泉に宿る力だったのでしょう。
皐月の頃には吉浜の高台にさつきの紅紫が燃え立ち、まるで時代を超えた誇りが咲き乱れるかのよう。相模の海の向こうに伊豆七島の影が淡く浮かぶ様は、見る者の心に、言葉では括れぬ郷愁と未だ言い得ぬ希望を呼び起こします。
苔むす古道沿いには山百合がひっそりと咲き、その白き花弁が風に揺れるたびに、呼吸する自然の美しさが胸に沁み渡ります。文明の喧騒から離れ、人はここで、自らの内なる輪郭を改めて見つめることができるのです。
否といふ心のやうに わが山の上を ななめに走るしら雲 —— 与謝野晶子(湯河原にて)
「いや!」と拒む意志のように、自らの頭上を斜めに流れ去る白い雲よ──その潔い孤高さは、湯河原の風景に漂う悲哀と自由の両義を、そっと映し出しているようでもあります。

この静けさを破るように遠くから響く「ガタン、ゴトン」という列車の音は、芥川龍之介の「トロッコ」が紡ぐ郷愁を呼び覚ます。芥川龍之介の文体とは明らかに違う珍しい作品だが
それは、幼い主人公の良平が感じた見知らぬ世界への憧憬や、過去と現在を結びつける象徴であり、湯河原の持つ歴史と文学的な情景を物語っている。穏やかな自然と、遠い昔から変わらぬ営み、そして文学的な余韻が、訪れる人々に深い思索をもたらすのである。

波間をすり抜けて帰る漁船の舷には、まだ朝の海霧が淡くまとわりつき、甲板には銀鱗きらめくアジや、潮の香を含んだカマスが並ぶ。港の岸壁に立てば、潮風が頬を撫で、遠くの相模湾の青と、近くの海面の翡翠色が溶け合う。その匂いと光景は、単なる風景以上に、海と人とが長く共に暮らしてきた記憶そのものである。
昼餉には、地元の漁師や料理人が手際よくさばいた地魚を口に運ぶ。脂の乗ったアジの刺身は舌の上でとろけ、焼き上げられたカマスは皮目が香ばしく、身はしっとりと甘い。潮騒を背に味わうひとときは、旅人にとっても町の人々にとっても、海と共に生きる湯河原の確かな息づかいを感じさせるものであった。
ここに、与謝野晶子(1878–1942)の歌「海恋し」を添えよう——
「海恋し 潮の遠鳴り かぞえては 少女となりし 父母の家」
この短歌は、遠く聞こえる潮の音を胸に数えながら、少女として成長し、今は遠くとなった父母の家を懐かしみ恋う情景を映す。故郷の海への切ない思いが、福浦の潮風と重なることで、旅の記憶はより深く胸に響いてくる。

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建築の特徴と設計者
– 竣工年1962年(昭和37年)
-設計佐藤茂次建築事務所
設計者の佐藤茂次氏は、早稲田大学建築科の創設者である佐藤功一氏のご子息とされ、近代建築の系譜を受け継ぐ人物です
構造形式
鉄筋コンクリート造、地上4階・地下1階、塔屋付き
施工 小沢土建工業K.K.
建物は直方体を基本としながらも、白と群青色のタイルを貼り分けた外観が客船をイメージしており、湯河原の海と豊かさを象徴するようなデザインです
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建築的見どころ
玄関ロビー
躯体そのものをレリーフとして活用し、湯河原の「ゆ」をモチーフにした装飾が施されています
議場の天窓
屋上に現代アートのような天窓があり、光の演出が美しい。
階段や床の仕上げ
人造石の研ぎ出し仕上げや黒漆喰風の壁など、昭和モダンの意匠が随所に残されています
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歴史的背景と文化的価値
湯河原町役場は、文化庁の「近現代建造物緊急重点調査」にも選ばれており、戦後日本の地方公共建築の優れた例として評価されています
この建物が建てられた1960年代は、地方自治体が独自のアイデンティティを建築に込め始めた時代。湯河原町も、温泉地としての魅力と文化的豊かさを表現するために、船の形を模した大胆なデザインを採用したと考えられます。

そして七月末、夏の夜空を彩る手筒花火は、勇壮な男たちが抱え上げる筒から迸る炎が、観る者の魂を揺さぶります。火の粉を浴びながら舞い上がる火柱は、この地ならではの特別な感動を呼び起こします。
さらに、これらの熱気と風情が最高潮に達し、湯河原の夏を代表する祭りとして盛大に執り行われるのが「やっさ祭り」です。20台に及ぶ壮麗な山車が、華やかな提灯の光を纏いながら練り歩く様は、まさに圧巻。湯の街全体が熱狂の渦に包まれ、人々は一体となって夏の歓喜を謳歌します。
そして八月のお盆には、伝統的な祭りの熱気を引き継ぎつつ、現代的な趣で夏を締めくくる「湯河原Nights」が開催されます。提灯の灯りが連なり、音楽やパフォーマンスが繰り広げられる夜の温泉街は、ロマンチックで幻想的な雰囲気に包まれます。湯河原の夏の物語は、これらの多彩な祭りを通じて、唯一無二の感動と記憶を紡いでいくのです。

湯河原に遊ぶ一筋の坂は、熱情と気迫を体現した“アイルトン・セナの坂”とも称され、訪れる者の胸を高鳴らせます。その傍らに立ち並ぶ古びた温泉櫓こそ、湯煙を纏いながら悠久の物語を語る伝承。その間から立ち昇る湯気は、まるで見えざる精霊がそっと歩を進めるかのように、温泉街全体を神秘的に彩ります。
渓流のせせらぎとともに、湯けむりが生む柔らかな靄は、刻を忘れさせる幻想的な舞台。その一瞬一瞬に、悠久の歴史と自然の調和を感じることでしょう。
湯河原温泉は、東国で唯一『万葉集』に詠まれた“古湯”として、その歴史は奈良時代にまで遡ります。
「土肥の河内に出づる湯の…」という歌によって、古より恋心とともに語られてきました。
また、江戸時代には“三役(小結)”という高い評価を受け、名湯のひとつに数えられていました。
湯河原温泉の主泉質は「含石膏-弱食塩泉」。塩による温熱効果と、石膏成分による鎮静・美肌効果というWの恵みを併せ持ちます。実際、古より“傷の湯”として名を馳せ、戦傷の癒し場としても用いられてきました。
さらには、アルカリ性単純温泉の成分も含み、肌をしっとりすべすべに整える“美肌の湯”としての側面も併せ持ちます。
湯河原の温泉街は、千歳川の峡谷沿いに広がり、自然と共鳴する静謐な佇まいが魅力です。歴史ある“万葉公園”や“独歩の湯”、“幕山公園”といった名所も点在し、文化と自然が織りなす空間となっています。
湯河原温泉は言葉では伝え尽くせぬ風雅と奥深さに満ち、訪れる者を時の流れの彼方へいざなうような、格調高き癒しの地です。ぜひ現地を訪れ、この静謐と情緒の息吹を肌で感じてみてください。

奥湯河原へと至る坂道を踏みしめるたび、温泉街の賑わいが徐々に遠のき、山深い静けさが心の隙間に染み入ります。渓流のせせらぎに耳を委ねながら、やはり想像せずにはいられません――谷間の宿では、湯けむりに身をゆだね、旅館の采配尽くす膳に箸を運び、今まさに至福の刻を迎えているのではないかと。
秋の深まりにともない、道は紅葉の絨毯で飾られ、真紅や黄金の木々が枝を寄せ合って造り出す“紅葉のトンネル”は、まるで自然が奏でる雅な天蓋のよう。柔らかな光が揺れる葉影は、足もとを金色に染め、訪れる者を夢幻の世界へと誘います。
その紅葉のトンネルをくぐり抜けると現れるのが「湯河原パークウェイ」。1964年に開通した全長約5.7kmの有料道路は、奥湯河原と箱根峠を結ぶ現代の山岳路であり、伊豆箱根鉄道によって整備されました。その設計は急勾配を避けつつ緩やかなカーブを描き、自然と調和する優美な造形を意図したものです。
当初、この道は自社バス専用路として建設されましたが、やがて箱根ターンパイクと連携し、有料道路として広く一般にも開放されるように。地元の渋滞緩和や利便性向上に貢献しつつ、四季折々の美景を楽しめる絶好のドライブウェイとなりました。
今では紅葉シーズンには、走行しながら周囲を彩る紅葉を堪能できる隠れた絶景路として、訪れる者を魅了しています。
この道を抜ければ、箱根峠へと至り、歴史の道「箱根旧街道」とも交差します。
さらに、箱根を越えれば三島の宿場へ。古代より東海道の要衝として発展し、戦国期には城や宿場の機能を担ってきた地。三嶋大社へ参詣する「三社詣(さんしゃまいり)」の道筋でもあり、信仰と往来の道として重んじられた歴史を宿しています。
奥湯河原に息づく自然と静謐、紅葉に彩られた山道、近代に拓かれた湯河原パークウェイ、さらに古道へと連なる歴史の道――これらがひと続きに紡がれるこの一帯は、まさに「悠久と現代が交錯する小径」。訪れる者をただの移動ではなく、時代を超える旅へといざないます。温泉の香りと木々の息吹、そして古道に刻まれた歩みが、心の深淵に静かに触れる──そんな雅やかな体験が、ここにはあります。
