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今昔映像とスナップ写真館②~万葉公園・光風荘・落合橋~

万葉公園

「万葉集に歌われた草花が見られる公園」

万葉集に歌われた木や草花が植えられたことから佐佐木信綱博士(1872~1963唱歌「夏は来ぬ」作詞、歌人)が万葉公園と名づけました。「日本の歴史公園100 選」に選ばれるこの公園は四季折々の情緒を味わうことができます。2021年に新設された「湯河原惣湯Books and Retreat」で川のせせらぎに耳を傾け万葉のひと時をお楽しみください。公園内には文学の小径や国木田独歩(1871~1908)の文学の碑があります。
「湯河原の渓谷に向かったときはさながら雲深く分け入る思いがあった 独歩」これは画家の小杉放庵(ほうあん)(1881~1964)が揮毫しています。
入り口左手には「万葉亭」があります。茶室や数寄屋造りの名手として鳴らした堀口捨巳(1895~1984)の現存する数少ない作品の一つです。
   
太上天皇御製歌一首 巻八 一六三七

「はたすすき 尾花逆葺き 黒木もて 造れる室は万代までも」

(意味)
(薄の尾花を逆さにして葺き、黒木でつくったこのたてものはいついつまでもあることであらう)
引用:澤瀉久孝 中央公論社 昭和36年1月30日、8巻、p295
の趣を再現しようとしたもので草葺き皮付きの柱になっています。

光風荘(伊藤屋別館)

湯河原でひとつの歴史が作られた

「1936年(昭和11年)2月26日(いわゆる2.26事件)の舞台となった光風荘は、東京以外の唯一の場所です。
襲撃にあった牧野伸顕伯爵は大久保利通の次男です。事件当時75歳。(麻生太郎元総理大臣の曽祖父)前内大臣として「天皇陛下の側近であり欧米強調である」とみられ、君側(くんそく)の奸(かん)(天皇を取り巻く悪者)として暗殺対象になりました。
伊藤屋別館の光風荘を宿泊に指定してきたのは護衛がしやすかったからでしょう。河野航空大尉以下8名は東京の決起部隊と時間を示し合わせ午前5時光風荘を急襲します。
「電報!電報!」の声に警護に当たっていた皆川巡査は戸口を少し開けました。異様な訪問者の姿を見て2,3歩後ろにひるむと河野大尉たちがなだれ込んできました。
「牧野はどこだ!案内しろ!」
皆川巡査は牧野伸顕伯爵が寝ている反対方向に折れ、少しでも伯爵から離そうとします。そして振り向き様に銃弾を放ちました。ほぼ同時に河野大尉も応酬。その間に牧野伯爵はお付の女中の機転で女物の着物をかぶり勝手口から脱出、塀を乗り越えて裏山に逃れました。郷土歴史研究家は芸術の径に逃れたのではないかとみています。映画「226」では五社英雄監督によって詳しく再現されてます。また松本清張の「昭和史発掘」や河野大尉の兄である河野司の多くの著書に詳しく描かれています。

落合橋

「ここが万葉集に歌われたところ?」

落合橋は山岳信仰の日金山(十石峠)の出発点に架けられています。
「藤木川」と「千歳川」の落ち合う場所(合流する場所)でもあります。
「 あしがりの土肥の河内に…」と万葉集に歌われた「河内」は「川の洲」という意味です。「洲」ができるのは合流するところ。この辺りが詠まれた場所ではないかと考えられます。また昔から若者が「落ち合う」場所。写真にもカップルの落ち合う姿が見受けられます。夏目漱石は日記に、この地について、
「湯河原の川 藤木川 合して 千歳川 向かい側ハ 伊豆」(断片69B)と記しています。