湯河原町立美術館(旧 天野屋旅館)
「文豪といったら夏目漱石。夏目漱石といったら天野屋」
多くの文豪や文化人のみならず政治家や軍人がこよなく愛した旅館です。漱石の宿泊した場所は今の町立湯河原美術館の2階に上がる階段あたりです。文学を志す人のパワースポットになっています。
その他にも天野屋は世に言う「大逆事件の舞台にもなりました。1910年(明治43年)3月から「基督(きりすと)抹殺論(まっさつろん)」執筆のため天野屋に投宿していた幸徳秋水は同年6月1日に湯河原停車場前(門川駅)で逮捕されました。」
その他にも天野屋は世に言う「大逆事件の舞台にもなりました。1910年(明治43年)3月から「基督(きりすと)抹殺論(まっさつろん)」執筆のため天野屋に投宿していた幸徳秋水は同年6月1日に湯河原停車場前(門川駅)で逮捕されました。」
小梅橋
「子宝を授かるパワースポット」
昭和初期から変わらない風景を保っているのが小梅橋です。
古来、この辺りは「こごめ」または「こごむ」と言われ山奥地にある温泉の意であるとも、「子込め」や「子産め」の意であるともいわれ、身ごもりや懐妊の温泉として愛されてきた由来があります。この橋に佇み子宝を授かるように願うスポットでもあります。
古来、この辺りは「こごめ」または「こごむ」と言われ山奥地にある温泉の意であるとも、「子込め」や「子産め」の意であるともいわれ、身ごもりや懐妊の温泉として愛されてきた由来があります。この橋に佇み子宝を授かるように願うスポットでもあります。
藤木橋
「与謝野晶子の橋」
「与謝野晶子(1878~1942)は静養を兼ねて有賀精(つとむ)氏所有の真珠荘(湯河原の吉浜)に幾度となく訪ねていました。温泉場へ体調が優れない晶子を心配した有賀氏が中西旅館での静養を勧めました。晶子は盲腸の手術を東京の神田駿河台にある三楽病院で受けて予後が良くなかったのです。
ある日、晶子が宿に帰ろうと藤木橋に差し掛かったころ中西旅館では宴会が行われていました。
「自分の夫である与謝野鉄幹はすでに死に、私は体調が優れないにもかかわらず、同じ歌人の勲章受勲の宴会が盛大に行われている」宿には帰りたくないと藤木橋から中西旅館を見上げ、短歌へ打ち込む決意をあらたにしたのが藤木橋です。文学を志す人、特に女流作家を目指す人のパワースポットとして人気です。
ある日、晶子が宿に帰ろうと藤木橋に差し掛かったころ中西旅館では宴会が行われていました。
「自分の夫である与謝野鉄幹はすでに死に、私は体調が優れないにもかかわらず、同じ歌人の勲章受勲の宴会が盛大に行われている」宿には帰りたくないと藤木橋から中西旅館を見上げ、短歌へ打ち込む決意をあらたにしたのが藤木橋です。文学を志す人、特に女流作家を目指す人のパワースポットとして人気です。
河鹿鳴く 箱根の嵐 及ぶなる 藤木の川の板橋のもと
(箱根の峰から雨を含んだ夏の嵐が川を伝って荒々しく吹いてくる、それを早くも察してあのように河鹿のひときわ高い鳴き声がすることだ)の歌がある。
*河鹿(かじか かじかがえるの意)