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スナップ写真館

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④池峯もみじの郷(いけみねもみじのさと)

「秋は湯河原で紅葉狩り」

常緑樹の多い湯河原ですが、奥湯河原のこの地は大観山へと続く紅葉を楽しめる地でもあります。540本の紅葉が11月上旬から12月上旬が見どころです。

⑤不動の滝

「文人墨客の思索の滝」

落差15メートルの名瀑です。夏目漱石(1867年~1916年)の遺作となった「明暗」に登場します。静かに思いをはせたり構想を練るには最適な場所です。国木田独歩、芥川龍之介にも愛された滝です。文学を志す人のパワースポットとなっています。厳かな空気感とマイナスイオンに包まれてください。滝の左側には身代わり不動尊、右側には出世大黒尊が祀られています。名前の由来は滝つぼのほとりに祀られている不動明王から来ています。

*参照 『明暗』(百八十一)彼は漫然と万年筆を手にしたまま、不動の滝だの、ルナ公園(パーク)だのと、山里に似合わない変な題を付けた地方的の景色をぼんやり眺めた。それからまた印気(インキ)を走らせた。今度はお秀の夫と京都にいる両親宛あての分がまたたく間に出来上った。

⑥町立湯河原美術館

「文豪といったら夏目漱石。夏目漱石といったら天野屋」

多くの文豪や文化人のみならず政治家や軍人がこよなく愛した旅館です。漱石の宿泊した場所は今の町立湯河原美術館の2階に上がる階段あたりです。文学を志す人のパワースポットになっています。
その他にも天野屋は世に言う「大逆事件の舞台にもなりました。1910年(明治43年)3月から「基督抹殺論(きりすとまっさつろん)」執筆のため天野屋に投宿していた幸徳秋水(1871年~1911年)は同年6月1日に湯河原停車場前(門川駅)で逮捕されました。」

⑦湯元通り

「ぶらりと歩いて芸術家」

文人墨客に愛された通りです。夏目漱石(1867~1916)も、芥川龍之介(1892~1927)も竹内栖鳳(たけうちせいほう1864~1942)もこの道を歩きました。特に竹内栖鳳が好んで歩いたため別名「栖鳳通り」と呼ばれています。万葉公園への近道にもあたり、右に折れ芸術の径を歩けば思索に最適な静寂に包まれます。国登録有形文化財で現存する湯河原温泉最古の「上野屋」や「伊豆屋」といった古くからある旅館があります。昔日の面影をゆっくりと流れる時間と共にお楽しみください。「湯元」と表記するのは昔の湯河原温泉の中心地がこのあたりだったからです。

⑧芸術の径

「226事件はこの道が?」

湯河原温泉に泊まった芸術家たちが好んで歩いた道です。「動物を描けばその体臭までも表す」と言われた竹内栖鳳(たけうちせいほう1864~1942)や芥川龍之介(1892~1927)、国木田独歩(1871~1908)が愛した道でもあります。抜けると万葉公園の裏に出て渓流を楽しむことができます。また、226事件の牧野伯爵脱出にはこの道が使われたのではないかと歴史研究家はみています。
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