湯河原温泉は、温泉場、駅周辺、海側、山側…
思わずシャッターを切りたくなる
情緒豊かでフォトジェニックなスポットがたくさんあります!
観光案内では見ることができない
隠れた「ゆがわら」の風景をぜひ見つけてください。
地図をクリックすると拡大してご覧いただけます
①大観山
「湯河原から富士山を見よう」
「湯河原からは富士山が見えない」とよく言われます。ちょっと待ってください。椿ライン、オレンジラインを登れば、そこは富士山の絶景が楽しめる大観山にたどり着きます。住所は湯河原町鍛冶屋です。そして一目見れば、その富士山のたたずまいは日本画家の大家、横山大観(1868年〜1958年)が愛した富士山だとわかるはずです。横山大観にちなんで山の名前が付けられました。
日本画では「西の大観、東の栖鳳」と言われますが両巨匠とも湯河原ゆかりの画家だったのです。
日本画では「西の大観、東の栖鳳」と言われますが両巨匠とも湯河原ゆかりの画家だったのです。
②しとどの窟屋
「源頼朝が石橋山の戦いから逃れてきた場所?」
源頼朝(1147年~1199年)が石橋山の戦いに敗れ、隠れた窟とされているところです。弘法大師の霊場とも言われています。20体を超える石仏は各々違う表情をしているので一体一体を拝むのも楽しめます。しかし入り口から窟まで400メートルあるので、スリッパやハイヒール不可です。尚、「しとど」とは頼朝たちを追ってきた平家軍の前に「しとど」と鳴いて飛び出てきた鳥にちなんでつけられたといわれています。日本鳥学会が定めた和名に当てはめるとホオジロ、アオジ、クロジ、カシラダカではないかと思われます。
③土肥の大椙(どひのおおすぎ)
「倒れた大椙に出来た空洞に源頼朝が隠れた場所」
平氏と源頼朝(1147年~1199年)が衝突した最初の戦いである石橋山の戦い(1180年)に敗れ、散り散りになった源頼朝勢のうち7騎を土肥実平(不明~1191年?)が匿(かくま)った場所です。平家方の梶原景時(不明~1200年?)は頼朝や実平を大椙(おおすぎ)の穴で見つけ互いに目が合ったにもかかわらず逃がしました。
「この辺りにはいないようだ。向こうの山を探そうではないか」
梶原景時は機転を利かして(誰も前に入っていない証拠に)蜘蛛の巣を弓につけて
大椙の穴から出てきました。
とそこに偶然に2羽の鳩が大椙の穴から飛びだしました。
「ほら見ろ。中に源頼朝がいるのであれば、今頃鳩が飛び出すものか」
鎌倉八幡宮に鳩が彫り込まれているのはこの故事によるものと言われています。
後に梶原景時は源頼朝に寵愛されることになります。頼朝が天下人になれたのは土肥実平はもちろんのこと、この時の梶原景時の功績が大きいと言えます。
(参照:吾妻鏡・源平盛衰記)
以来、「信頼」「友情」また「仲間を作っての起業」のパワースポットになっています。
「この辺りにはいないようだ。向こうの山を探そうではないか」
梶原景時は機転を利かして(誰も前に入っていない証拠に)蜘蛛の巣を弓につけて
大椙の穴から出てきました。
とそこに偶然に2羽の鳩が大椙の穴から飛びだしました。
「ほら見ろ。中に源頼朝がいるのであれば、今頃鳩が飛び出すものか」
鎌倉八幡宮に鳩が彫り込まれているのはこの故事によるものと言われています。
後に梶原景時は源頼朝に寵愛されることになります。頼朝が天下人になれたのは土肥実平はもちろんのこと、この時の梶原景時の功績が大きいと言えます。
(参照:吾妻鏡・源平盛衰記)
以来、「信頼」「友情」また「仲間を作っての起業」のパワースポットになっています。