⑬こごめの湯
「心も体も温まってください」
「こごめ」とは鎌倉時代の呼び名で奥地にひそまった温泉の意味で使われてました。または「子込め」「子産め」との意味もあります。その後、室町時代には「こごみの湯」、江戸時代には「小梅の湯」と呼ばれてきました。お湯につかると子宝に恵まれると言われています。
⑭藤田屋
「軍神も名優も癒された佇まい」
1882年(明治15年)創業。各地にある東郷神社に軍神と祀られた東郷平八郎(1848年~1934年)の愛した宿です。本館が国指定文化財に登録されてます。藤田屋、伊藤屋、富士屋旅館が作る風景にお立ち寄りください。古の湯河原がそこにあります。また玄関には名優緒形拳(1937年~2008年)によって書かれた屏風が出迎えてくれます。
書に長けていた緒形拳らしく後に書き加えられたイラストとともに遊び心たっぷりに
「大黄河に河源があった
湯河原に望みの湯 源泉があった」と書かれています。
木を贅沢に使った内湯は湯河原在住、元東海大学教授の杉本洋文(1952年~)の設計です。
書に長けていた緒形拳らしく後に書き加えられたイラストとともに遊び心たっぷりに
「大黄河に河源があった
湯河原に望みの湯 源泉があった」と書かれています。
木を贅沢に使った内湯は湯河原在住、元東海大学教授の杉本洋文(1952年~)の設計です。
⑮養生園(万葉公園)
湯河原には多くの軍人や文豪に愛された大倉孫兵衛(1843年~1921年)・和親(1875年~1955年)父子の別荘「養生園」がありました。
乃木希典(1849年~1912年)や東郷平八郎(1848年~1934年)といった軍人をはじめ、湯河原に来た文人墨客の多くは養生園を訪れました。その大倉親子は、「ノリタケ」ブランドで有名な大倉陶園、後のTOTO、日本碍子、INAX(現在のLIXIL)の創設者であります。写真のお地蔵様の辺りが橋の入り口でした。(入り口の碑は「文学の小径」に移築されてます)橋のたもとが写真の塔です。見つけにくいので見つけられたらラッキーです。
現在では多くの起業家がこの入り口に立ってパワーをもらい、たもとに立って起業成功を祈ると言われています。日本の誇れる産業が湯河原発だったのです。
乃木希典(1849年~1912年)や東郷平八郎(1848年~1934年)といった軍人をはじめ、湯河原に来た文人墨客の多くは養生園を訪れました。その大倉親子は、「ノリタケ」ブランドで有名な大倉陶園、後のTOTO、日本碍子、INAX(現在のLIXIL)の創設者であります。写真のお地蔵様の辺りが橋の入り口でした。(入り口の碑は「文学の小径」に移築されてます)橋のたもとが写真の塔です。見つけにくいので見つけられたらラッキーです。
現在では多くの起業家がこの入り口に立ってパワーをもらい、たもとに立って起業成功を祈ると言われています。日本の誇れる産業が湯河原発だったのです。
⑯夫婦道祖神
「こんなところにラブスポット」
湯河原には珍しい、安曇野型双体道祖神です。
男女が寄り添った珍しい道祖神で、背景にして写真を撮ると良縁に恵まれるといわれています。カップルには絆を深めるスポットとなっています。
男女が寄り添った珍しい道祖神で、背景にして写真を撮ると良縁に恵まれるといわれています。カップルには絆を深めるスポットとなっています。
⑰美人の湯
「湯河原のお湯は美人の元」
元の造作の変化は致しません、あしからず。
⑱豆相人車鉄道
小田原(早川口)~熱海間を走った人車鉄道は1896年(明治29年)3月に開通。全長24.5キロを3時間半かけて走りました。1907年(明治40年)に蒸気機関車に引かれた軽便鉄道に代わるまで、人者鉄道は盛んに利用されます。
定員は6~8人で、1両に車夫3人が付き、上りは押し、下りは乗って走行しました。
国木田独歩(1871年~1908年)は「一驚を喫した、実に乙なもの」と書き残しています。今で言うジェットコースターの様に上り下りを疾走したことでしょう。脱輪した時には乗客も押して上ったという記録があります。
定員は6~8人で、1両に車夫3人が付き、上りは押し、下りは乗って走行しました。
国木田独歩(1871年~1908年)は「一驚を喫した、実に乙なもの」と書き残しています。今で言うジェットコースターの様に上り下りを疾走したことでしょう。脱輪した時には乗客も押して上ったという記録があります。